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技術者

ENGINEER

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Michikazu Hatabayashi

いつまでも青年のようなキラキラを秘めた

産業ロボット開発者は無類の植物マニア。

畑林 道和  48歳

「青年は荒野に向かう」副産物ゴロゴロ

1995年1月17日、阪神淡路大震災の衝撃は、当時21歳だった畑林青年に新たな衝動を呼んだ。すぐに神戸でのボランティア活動に参加したが、なぜか視線の先は海外に。「外国に出たい」とその後オーストラリアへ渡ったのである。半年ほど働き多少の金銭を貯めた後、現地で知り合った同じ日本人の青年3人と共同で車を購入、オーストラリア国内を巡る旅をスタートさせた。

「青春ど真ん中」を地でゆくストーリー。「だけどあんまり面白い話はなかったですね」と笑うが、ゴールドコーストで体験したサーフィンは、広島に帰ってからも趣味となり、「生活には困らない程度に」英語が身に着いた。現在では、現地工場向けに開発した機械を納品するため海外出張もしばしばだが、現地でのコミュニケーションもお手のものだ。

あの頃と変わらない青年の大志

異国の風土、人々の生活を肌で感じることは、それだけで自らの知見を広げた。畑林は言う。「現在の仕事で、もっとも重要なことは、幅広い知識、深い知見。いかに数多くの“機械”を知っているか」ときっぱり。世の中に存在しないものを発想するのは無理。だから、今も新作機械などの展示会、発表会には足しげく出かける。「自分の引き出しをいかに広げ、増やしていくか」。外の世界に向けた興味は21歳のころと少しも変わらない。

 

産業用ロボットで人を喜ばせる終わりなき道

現在の趣味は「植物」。なかでもシダ類の育成・コレクションに癒される。春になると決まって新しく芽吹くのは、自然の理(ことわり)とはいえこのうえない喜び。深く「感動的」ですらある。社員にも影響して畑林工業「園芸部」の活動は続く。無機物だけど働いて人を助ける機械。有機物なのにほぼ動かず、でも人を楽しませる植物。宇宙の真理を味方につけて、畑林道和の機械道に終わりはない。

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Tooru Fujii

野性味ある風貌に少年のような眼差し。

公私にわたり究極を追い求める。

藤井 徹  42歳

漕ぐのではなく飛ぶ、BMXの魅力

ワイルドな風貌とは裏腹、やさしい語り口調で畑林社長に感化されてはじめた多肉植物を語り始めたらとまらない。「ちょうど1年。いまがピークかな」と笑う。休日ともなると、動きもしない植物たちをじっとみつめる。「最近、こどもたちもその気持ちをわかってくれている」と嬉しそうだ。

そんな「静」の藤井さんのもうひとつの趣味がBMXだ。こちらはまさに「動」。高校時代に「カミカゼダウンヒル」という1500m級の山から一気に駆け降りる自転車競技に魅せられてはじめたマウンテンバイク。広島の山という山はほぼ攻めた、というからキャリアもハンパない。2021年の東京五輪BMXフリースタイルにも出場した中村輪夢選手の父親とも同時代に競技をしており、単なる趣味の領域ではないことは想像できる。「飛んだりするのがカッコいいから」とマウンテンバイクをBMXに乗り換えたが、「最近はあまり練習できてないですね」と少し緩み始めたお腹のあたりを気にしながら笑う。

「もっと、もっと」の先にある新しいアイデア

もともと機械好き。畑林社長からの誘いもあり、転職して6年。製造業の現場から求められる「こーしたい。あーしたい」を的確にカタチにしてきた。困難な案件ほど記憶に残るし、やり甲斐にもなる。考えに考えて、どうにも袋小路に入った頃、突然アイデアという神が降臨するという経験を幾度も味わった。そんな難産の末の完成品にクライアントの満足を得、自らも充足感にひたるが、時間がたつほどに「もっとできたはず」と新しい欲望が点火する。次のリベンジの機会を虎視眈々と狙う。

 

究極の機会開発を求めて

モノづくりの世界はさまざまな社会変革の中で急速に変化している。「わたしたちが今造っているのは、そこに人が介在して初めて動作するもの。これからは真の無人化機械にチャレンジしたい」と新しいフェーズを待ち望む。そんなキャリアの先に夢みるのが、フルカスタムのBMX開発だ。いつか畑林ブランドで発進できたら最高だとうなづく。

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Hiroto Nakakura

唯一無二のモノづくりの醍醐味。

挑戦的な日々を楽しむ。

中倉 裕人  40歳

どんなものでカタチにする作り手の矜持。

畑林工業の中では「組み立て」が専門。ほかの2人が設計したものをカタチに仕上げる。ただ設計図通りにやってるだけと本人は照れるが「どんなものでも最終的にカタチにしてくれる」(社長)信頼感はチームワークが強みという中で、役割は大きい。

もともとは建設会社に勤め、外壁仕上を業務としてきたが、30歳になるのを機に転職を決意。ふと目にとめた求人欄の「世界最小コンベア開発」という企業紹介文を見てすぐに応募したのが畑林工業だった。「せっかくモノづくりに関わる以上は誰も作ったことがないモノを」。入社当初は、とまどいもあったが、ひとつとして同じモノを造らない挑戦的な日々をいまは楽しんでいるという。

「植物も奥が深い」。

そんな忙しい日々の癒しが植物だ。やはり畑林社長に影響され始めたのが多肉植物の育成。仕事から帰宅するとまずは植物の様子をうかがう。休日も子どもを見る時間より植物たちを観る時間が長い。家族からも呆れられるほど。しかし、何日も、何年も積み重ねてきたものが、枯れるなどですべてが失われるのが植物。この虚無感を二度と経験したくないから一生懸命になる。「植物は奥が深い」という所以だ。

 

真理を垣間見る。

中倉家にとって家族の絆を深めるのがキャンプだ。ブームになる以前からのキャンプ大好き家族。月に1度のペースというからかなりのツワモノ一家だ。テントを張り、ご飯の準備をする。最初から最後まで家族の分業であり、協業でもあるのは仕事と同じ。そのなかでも特に中倉さんの個人的興味は“炎”だという。いわゆる焚火マニア。種火から広がり、炎に包まれる、思わず炎に見入ってしまう。すべての思考が炎に吸い込まれる。原始の昔からこの世界を支配する、宇宙の真理を垣間見る。

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